オクトパストラベラー5周年記念朗読劇 感想

24 September 2023

オクトパストラベラー

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ヒューリックホール東京の演目パネル

9月9日と10日に、ヒューリックホール東京にてオクトパストラベラー5周年記念朗読劇が開催された。
この公演のために急遽(でもないが)一時帰国したのだが、わざわざドイツから飛んで本当に良かった。
ライブ配信が決まった時は正直、コロナ禍やウクライナ戦争のあおりで高騰したフライトの価格を考えたらライブ配信でもよかったかな、と思ったのだが、生の迫力は圧倒的で、土曜日の公演が始まった瞬間にそのような煩悩は完全に吹っ飛んだ。

ゲーム原作の朗読劇は、スクエニ作品だとNieR: Automata(ただし音楽が主体で朗読劇は数曲ごとに挟まる構成)、その他ではテイルズオブシリーズや大逆転裁判があるくらいで、漫画、小説、アニメ、ドラマCD、映画、舞台等と比べるとマイナーなメディア展開である。
実写の映画や舞台ではほぼ必ずと言っていいほど「キャラと役者のイメージが合っていない」という批判が出るが、朗読劇はオリジナルの声優さんが演じるのでその点の心配はない。ただし、替えも効かない。
あまり声優業界に詳しくなかったので、「生演奏付き」というのはともかく、「観客の前で」「他の声優さんと一緒に」演じる朗読劇というのは声優さんにとってもなかなかない機会だというのは意外だった。
「実際に掛け合ってみるとまた違うキャラの一面やオクトラの世界が見えてくる」と皆さんおっしゃっていて、コロナ禍を経てより顕在化した感のある「実際に場を共有することで得られる効果」を、ここでも改めて実感することになった。

土曜: 逢魔編

微かに聞こえる風切り音と虫の声、舞台に焚かれたスモーク、そして少しひんやりした場内の空気の醸し出す臨場感に、思わず「おおお」と声が出た。
生演奏はメインテーマから始まり、交易の都グランポート、ボスバトル2、魔神の血を継ぐ者から数フレーズずつ抜き出して組み合わせた導入部、コーストランド地方を起点に左回りに順にフラットランド、フロストランドと続きハイランド地方までのメドレー、からのフィニスの門を経てまたメインテーマに戻ってくるというアレンジで開幕。
自分はメインテーマが一番オクトパストラベラーらしく、旅への期待と感動を感じさせてくれて好きなのだが、生演奏で聞いたらなんだか感極まってしまった。アンサンブル用のアレンジなのでヴァイオリン/チェロがメロディーラインのときはオリジナルとは違う和音がついていて、「これぞアレンジの醍醐味!」と感動しきりだった。

後ろのスクリーンには音楽と連動してゲームのカットが流されていて(ウィスパーミルでリアナとエリザが並んで立っていたりノーブルコートの宿屋の前で隠しアイテムが光っていたりするのは面白かった)、フィニスの門からメインテーマに遷移する時に門の前に立つリブラックを包んだ黒い炎から光が差し、それと同時に客席の後ろから青い光を放つランタンを掲げた声優陣が入場。
朗読劇というからそこまで凝った舞台演出があるとは思っていなかったのだが、声優さんの衣装や小道具も含めて、かなり気合いを入れてオルステラの世界を表現していたように思う。

逢魔編はトレサがキーパーソンとなるストーリーだった。
テリオンに「半人前」と嘲られて「商人の技は全部マスターしたし」と反論するトレサ、そういうとこだぞと思いつつ年相応でかわいい。サイラスの語りによれば、この二人はしょっちゅう喧嘩しているらしい。ゲームではテリオンはもう少しメンバーから距離を置いていて交流が少ない印象だったが、トレサとやいのやいの言い合っているテリオンにも「ああこういうこと言いそう」という納得感はあった。
ただ、テリオンが単独行動する言った時のトレサとアーフェンの反応を見るに、二人はテリオンのそういう行動に出くわすのは初めてだったのだろうか。盗賊という職業?柄、テリオンが斥候として一行と別行動を取るのは特に不思議ではないし、ある程度テリオンのことを知っていればオルベリクのような返答が自然であろうと思う。

脚本書いた方は無印の設定を相当読み込んでいるが、それだけではなく、ところどころで大陸の覇者の要素も取り入れているように思った。
まずは遣いカラス。大陸の覇者では頻繁に登場するが、無印で出てきたのは正直記憶になかった。
それから、バロガー戦でのトレサの回避タンク。ルンマストレサで緊急回避全体化は当時から有名な技だったが、かばう&緊急回避のような敵の単体攻撃を回避しつつ一手に受ける戦術は、無印よりは大陸の覇者のものであるという印象が強い。
ところでトレサが「かばう」を習得できたということは戦士の技をすでに4つは身に着けているということだが、やはり千本槍や一番槍から習ったのだろうか……などと想像するのは楽しい。
トレサはまた黎明編で「私たちは旅をしながら人助けをしている。困っている人を助ける『旅団』を作りたい(意訳)」と発言するのだが、この「旅団」の概念は間違いなく大陸の覇者の要素だと思われる。
そして、オフィーリアがリアナのことを思い出せずにいる箇所。もちろん思い出せない理由は違うしまったく関係もないのだが、全授7章の風景が目に浮かんだ。

ゲーム中でも呼称に多少の揺れはあったのだが、パーティーチャット「動物たち」でハンイットがプリムロゼをさん付けで呼んでいたのにはさすがに「んんんんんん??????」となった。

パーティーチャット「動物たち」のハンイットのセリフ「ふふ、かわいいな」
パーティーチャット「動物たち」のトレサのセリフ「プリムロゼさんは、動物飼ってたりしたことは?」

よくよく聞いてみるとその直前のハンイットのセリフも抜けていて、どうやら台本ミスだった模様。
夜公演のトークで桑島さんが「プリムロゼやわらかすぎるのでもうちょっと固くしてくださいという演出(指導)があってですね、そんなに固い人だったっけってもう覚えてない感じというか」とおっしゃってて、まあそうですよね、と思った。

日曜: 黎明編

メインテーマ、交易の都グランポート、ボスバトル2、魔神の血を継ぐ者のフレーズを組み合わせた導入部は土曜日と同じ。しかし日曜は八地方のフィールド音楽メドレーをすっ飛ばしていきなりフィニスの門から始まった。スクリーンにはフィニスの門の前に佇むサイラス。前日はリブラックで翌日はサイラスという演出はそれだけでもう胸熱だった。関さんは土曜も日曜も登場時のサービス精神が旺盛だった。

黎明編はハンイットがメインとなるストーリーであった。ハンイットはゲームでは結構淡々としていて自分には感情の起伏があまり見えなかったのだが、朗読劇ではかなり熱い人だった。不思議なもので、それはそれで納得感があった。

黎明編は逢魔編よりもストーリーに関わるキャラや設定が多く、考察することが多かった。
まずはアシラン。
アシランはサブストーリー「魔物使いの末裔アシラン」に登場するキャラクターである。青き森やその秘術に関連する設定はおそらくここから取ったと思われ、脚本の方は細部まで本当によく読み込んでいると驚嘆した。

アシラン「――“黒き森”と分かれた一族であり“青き森”にも魔物使いがいた」
アシラン「――しかし、禁断の秘術に手を出し魔物に憑りつかれた人を襲うようになった」
アシラン「伝承で魔物に操られた“青き森”の一族を“黒き森”の一族が戦い滅ぼしたとある」
アシラン「同族を滅ぼさなければならないほど危険な術だったんだろう……」

このサブストーリーの中で、アシランの父親が魔物に襲われた村を守るために青き森の秘術を使った(そしてその後行方不明になった)という話が出てくる。

アシラン「父はある日、急に何かに操られるように暴れだした」
アシラン「そしてそのまま、父は姿を消した」
アシラン「父は常日頃、自分の祖先は魔物使いだったと言っていた」
アシラン「そしておそらく、この禁断の秘術を復活させてしまったに違いない」
アシラン「でも、住んでいた村が魔物に襲われてしまって……」
アシラン「その魔物を倒すために禁断の秘術を使ったようなんだ」
アシラン「父は悪意で秘術に手を出したんじゃない……そう思うから、俺は助けたいんだ」
アシランの父親「私が……あんな術さえ……使おうと思わなければ……」

ウッドランドの族長たちが青き森の生き残りを探し出そうとしたのが3年前。大陸の覇者は無印の3年前が舞台だが、大陸の覇者のトラベラーストーリーでは青き森の一族の話は全く出てこないので、当該サブストーリーはその直後に起こったのだと思われる。朗読劇でも「魔物使いの末裔アシラン」のサブストーリーそのものには触れていない。しかし、ナビア親子の迎えた結末の発端はアシランの父親の行動にあったのでは? と解釈できる余地は十分にあり、なかなか重い。

次にオフィーリア。
黎明編のオフィーリアは、自分にはアラウネにしか見えなかった。つい最近大陸の覇者3節4節を駆け抜けたせいもあるかもしれない。オフィーリアとアラウネとでは立場も背負うものも全く異なるが、常識ではなかなか受け入れられ難い主張を押し通す様子は二人そっくりだった。

アラウネ「私は信じています 人々の良心を」

無印をプレイした印象では、オフィーリアはむしろ人を信じることに全く疑問を持たなくて、見ている方としてはそちらの方に危うさを感じるキャラだった。黎明編でオフィーリアは、自分に対して盗みを働いたテリオン(状況証拠のみではある)を自警団に引き渡さず自分が身元保証人になると主張するのだが、あのように「人を信じる」ことを主張するのはむしろ「人を信じること」に対して確信を持てない自分を説得させるための仕草に思えた。そんなに「人を信じる」ことに迷いのあるキャラだっただろうか。

そして、オフィーリアのそのような態度に対してサイラスは「世間知らず」という評価を下す。確かに主張の力点はずれていたし、その主張を採用すべき理由を説得力をもって示すことにも失敗していたので、その点を指して「世間知らず」と評するのは間違ってはいない。ただ、オフィーリアは戦争孤児でそれなりに苦労はあったはずなので、いわゆる「世間知らず」とは少し違う気もする。

悪事を働いた人間に対して「人の良心を信じる」と言った時、その内容は普通は「反省して刑に服し、その後は悪事に手を染めず真っ当に生活していくと信じること」等だろうと思う(例: ティキレンのトラベラーストーリー)。初対面のテリオンに対して、命の恩人とは言えオフィーリアは少々入れ込み過ぎではないかと思ったが、然るべき措置を取らず自分で身元を引き受けようと思った理由は何だったのだろうか。可能性として思い当たるのは、自身が戦争孤児としてヨーゼフに引き取られた経緯である。
また、このエピソードは、「人を信じる」ことの責任をオフィーリアがテリオンに負わせた、とも解釈できる。テリオンのストーリーを踏まえると、これには因果を感じる。

劇のラストでオフィーリアは「エルフリックよ、どうか私の愛する仲間たちをお護りください。そしてどうかこの8人で、ふたたびおいしい食事ができますように」と祈りを捧げるのだが、そこでごはんを持ってくるんだ?! という驚きがあった。


アーフェンとテリオンのエピソード。これは小説版を踏まえているのだろうか?!
作中でアーフェンは初対面のテリオンから食事代を借り、返さないまま別れる。そして、アーフェンとテリオンが再会したとき、テリオンがアーフェンの薬師鞄を持っているのを見てテリオンが盗んだと直感し、「だから(飯代を借りてまだ返していないから)ってオレのものを盗んでいい理由にはならない」とテリオンを非難する。
主張自体はその通りなのだが、そもそも何の担保もなしに、見ず知らずの、次に会うかどうかもわからない人から食事代を借りるとはどういうことなのか。それは実質「奢ってくれ」と同義ではないのか。他の方の感想でもこの部分にツッコんでいる人をあまり見かけなかったが、そこは皆さんスルーなのだろうか……。

土曜昼のパーティーチャット「動物たち」は台本の採録ミスだったが、日曜昼の「女性だけの集まり」ではむしろゲームの方が間違っている箇所を発見してしまった。

パーティーチャット「女性だけの集まり」のプリムロゼのセリフ「ふふ 経験に勝るものはなしだな」

内容的にプリムロゼが言うのもおかしいし(ドヤっているなら別だが)、この口調はどう見てもハンイットのものである。朗読劇ではちゃんとハンイットのセリフになっていた。ちなみに、「女性だけの集まり」はオリジナルのセリフ量が多かったためか、朗読劇では冒頭1割ほどカットされている。

雑感

土曜日曜ともあっという間の2時間だった。
土曜日の昼公演が終わった瞬間に全公演の見逃し配信を購入する必要性を確信し、購入した見逃し配信は4公演とも再生期限が切れるまで再生し倒した。BD/DVDの発売が待ち遠しい。
自分は両日とも昼公演だったので夜公演は見逃し配信で視聴したのだが、夜公演の方がトークショーがくだけた雰囲気でパーティーチャットも本命と思われるタイトルが選ばれていて、やはり夜公演の方が本番だなと思った。それを見越して倍率の低かったであろう昼公演に申し込んだのではあったが、それでも隣の芝生は青い。
4公演全部ライブで観た猛者はいたのだろうか。

オクトパストラベラー無印は、久々に徹夜でプレイするほどハマったゲームで、とても思い入れがある。
ただ、オクトパストラベラー無印はフルボイスではなくパートボイスで、テキストで表示されるセリフとボイスが一致しないことがほとんどだったので戸惑ったのを覚えている(そこは大陸の覇者のおかげでだいぶ慣れた)。
それにしても、普通に受け入れていたが、よく考えてみれば「5年前に発売されたゲームの朗読劇」はなかなか異例であるかもしれなかった。何点か「あれ?」と思うことはあったがそれが面白さを損なうことはなく、作品としての納得感は保たれたままであった。自分は特定のカップリング等を推す立場ではないが、この小説に続く公式スピンオフは、どの派閥とも重大な解釈違いを起こすことなくそれでいて全方位を均等に刺しに行っている、稀有な作品だった。
同行者はオクトパストラベラー無印未プレイだったが、いろいろ補足があったので未プレイなりに楽しめたとのことだった。

行き詰っている人生、踏み切れない自分を変えたくて半ば願掛けのような気持ちで申し込んだら、土日両日当選してしまった朗読劇。e-store最速先行ではうっかりしていて一人分のチケットしか申し込まなかったので、あわてて第一次オフィシャル先行で同行者の分も申し込んだら、なんとこれも両日当選してしまった。Twitter(当時。現X)ではイープラス二次三次でも落選し、不運を嘆く声も聞こえた。
「これは是が非でも行けということだ」と思った。
実際に行って本当によかった。
状況は今のところ驚くほど変わっていないが、少しだけ元気が出た。

ありがとう、オクトパストラベラー。

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