何日か前に「感想をのすゝめ」というnoteがバズった。私はこの文章に筆者の方の深い愛を感じた。
文章が徹頭徹尾「嬉C楽Cだけの感想であっても全然構わないし、まずはそのファーストインプレッションを大切にしてほしい」という、感想全肯定の姿勢で貫かれていたからだ。
要約すると
・何物にも左右されないファーストインプレッションを大切にしてほしい
・「ファーストインプレッション」と「いろんな感想を読んでみて思ったこと」は別物でいい
・人の感想や解説を読んで考えが変わっても、それをもって自分のファーストインプレッションを「上書き」する必要はなく、それはファーストインプレッションに「追記」すればいい
ということだと思ったのだが、このアドバイスは感想文を書く心理的ハードルをだいぶ下げてくれるのではないだろうか。
私は感想文が苦手だ。
感想文にも、自分のためのものと、人に読ませるためのものの2種類あるが、私はどちらも苦手である。
感想文が苦手な理由は主に3つで、ひとつは「自分が気づかなかったような考察をしている人を見かければ、えー、私は何もわかっていなかった…とガックリしたりする」まさにこれである。自分は何も読み取れていなかったと思ったら、悲しくまた情けなくもなるのである。
2番目は、「ポイントがずれていることが多い」ということである。「感想に正しいも間違っているもない」正論ではある。自分が重要だと思ったことはほとんどの人にとって取るに足らないことだった。人生の大半はそうであった。しかし、楽しみの時間にまでわざわざそんなことを感じたくはない。
最後は「感想を延々と語ることができない」という理由である。頑張っても5~6文くらいで完結してしまう。どこかで「文章の長さ≒それに対する熱量」と考えている部分があり、確かに好きなはずのに情熱のなさが可視化されたようで、深く劣等感を覚えるのである。全く何の感想も浮かばないこともよくある。
人に読ませる感想、たとえば感動した作品の感想を著者に伝える、などは当然ながらもっと難度が上がる。
初出は2020年夏だが、2カ月くらい前にpixivでおすすめされてきた文章がある。日常的に小説などを書かない人にとって、作者に感想を送るということは相当ハードルの高い行為であり、作品に対するリアクションとして「感想文」というフォーマットを強要すべきではないのではないか、という趣旨だったと記憶している。
何かの作品についての感想を書くとき――ほとんど自分のために書いているが――基本的にはその作品の作者とは距離を置きたい方である。一度何らかの関わりができてしまうと、相手がどうであれ私は自由に感想を書けない。なので、自分のTwitterアカウントからメンションや引用RTで感想を書くことはせず、作者がWaveboxなどを設置していればそちらに匿名で書いてしまう。
作者の方のツイートなどを読んでいて、ツイートからにじみ出るキャラクター的に、この人は自分からの感想はほしいと思わなさそうだな……と思ってしまうことも何度かあった。
よいと思ったことを本人に伝えるのは大事だと思うのでなるべく実践するようにしているが、本人の認めてほしいポイントから全くずれていると、残念ながら「私はあなたの作品を良いと思った」という気持ちすら届かない。その人が求めている感想だけに価値があるとも思わないが、その人が受け取ったり咀嚼できるフォーマットでないと、そもそも受け取られないのである。
よくあるのが、メインは特に刺さらなかったが、おまけの方がクリティカルヒットしてしまった場合。この場合は感想を伝えるのは諦める。
それから、感想を言ってみて意外と多いのが、「何この人キモイ」という反応である。これは視点・言い回しなど複合的な問題で、端的にその人とはスタイルが合わなかったということなのだが、こういうことが重なると本人に感想を伝えるのは躊躇するようになってしまう。
誰がどんなフォーマットなら受け取り可能かなんて事前にわかるはずもないので、キモイと言われても傷つかず自分のやり方で感想を投げ続けるしかないのだけど、これはなかなか茨の道である。
そもそも、私は感想文に限らず文章を書くのに苦手意識を持っている。私の書く文章にはオチがない。構成もきちんとしていない。密度が低い。単発的なツイートなどは書けても、これをまとめて意味のある塊として出力できない。とにかく手が遅い。言いたいことに対して的確な表現が一発で出てこない。
要は言いたいことのイメージが明確でないのである。何かを言いたいが、何を言いたいかわからない! 白痴か? これを解決するには書いて訓練する以外にないのだが、上達が見えないとやはりしんどい。
なぜ私はそこまでして感想を書きたいのだろうか。
「心を細分化して客観視することで、自分の中の価値観が見いだされて」「人の感想についてもうまく距離を取っていけるようになる」究極的にはこういうことなのであろう。自分との対話で、しゃべる代わりに文を書く。
めげずに感想を書こう。