旅団2、体験パスの勢いで全てを授けし者3章もクリア。
全授1~3章の全体的な感想は「リタイヤした人気キャラを雑にリサイクルしただけのシナリオ」であった。現実でもなぜそうなったのか誰にも説明できない事件は起こるが、「物語」を描いているのにこれは脈絡がなさすぎる。全授編に入ってから、敵味方を問わず「は? 何言ってんの?」しか感想がない台詞が非常に多い。
まず、どのような魂が辺獄に彷徨っているのか。
辺獄とはこれまでに存在した全ての魂が留まる場所ではなく、シグナのセリフからも生前に何かしらの未練があった魂が彷徨っている場所であることが窺える。
鈴木:辺獄については、現段階でどこまで明かすべきか少し悩んでいるのですが。シンプルに言ってしまうと、死せる魂が消滅する前に必ず訪れることになる死者の世界、という定義になると思います。
――ずっとそこに魂が定着するような場所ではないということでしょうか。
鈴木:はい。辺獄をさまよう死者たちはそれだけ現世に強い未練や執着がある状態だということです。なかには誰かからの想いに引きずられて閉じ込められている、なんて人もいるかとは思いますが……。
ペラギアのセリフからは「全ての魂が必ず来る場所」と理解できるが、鈴木プロデューサーの説明によると「しかし定着する場所ではない」とのことである。辺獄で出会う魂には「たまたまそこにいる者」と「現世に強い未練や執着があってさまよっている者」の二種類がいるのだろうか。通常の魂は、辺獄でどのくらいの時間滞留したのち消滅するのだろうか。あまりはっきりしない。
ドン・タヴィアーニが辺獄にいる魂の典型例だと思うが、ストーリーボスとして立ち塞がったかつての仲間たちには、どのような辺獄を彷徨うほどの「未練」があったのか、それともなかったのか。そして、それはこれまでのストーリーのどこに描かれていたのか。単にそこにいたから出されたという印象が拭えない。
現実のプロジェクトでは、目的を達成するために必ずしも理想的かつ最適なツールが選ばれるわけではなく、往々にして「そこにあった使えそうなもの」が採用される。しかしストーリーテリングはそういう場ではない。
志半ばで力尽きたのが無念であった(これは実際そうであろう)のなら、相応の描き方があったはずである。たとえば心の隙を突かれてけしかけられた、というならまだ理解できる。辺獄に留まるほどの執着があったというのに、あんなにあっさり自らの意志を放棄して操られてしまうものなのか。であるなら、もともと大した執着ではなかったのではないか。
かつて共闘した仲間が敵として立ちはだかるというのは物語としては盛り上がるポイントではあるが、敵対するのに納得できるだけの理由がないと却って白けてしまう。この話の流れならパーディスIII世でも出てきた方がよほど納得できた。
名授編で無印のクリティカルな設定が無視されたことについて、原作が尊重されていないようで苦々しく思っていた。しかし全授3章までクリアしてみて、大陸の覇者のオリジナルキャラ、それもチョイ役ではなくそれなりに地位の確立されたキャラですらこの扱いなのだから、精一杯原作を尊重してあれだったのだと腑に落ちた。
それであれば、変に凝った設定を詳細に語るよりは勢いで押し切ってしまったほうが、物語としてのまとまりはよかったであろう。なぜそうなったのかの想像の余地が大きいので、二次創作のし甲斐はある。
時は少し遡って三授編終章、オルサ島での会合。
「私を憶えているか」と訊かれても、指輪に導かれたのは本当はベルトランなので、リネットがフードの人を覚えているはずはないのであった。当のベルトランはというと、ほぼ直後に指輪に導かれてきた同じ所属タウンのリネットに指輪を託すと、早々に隠居してしまった。
このシーンを最初に見たのは英語だったので何も思わなかったのだが、日本語のテキストを見てびっくりしてしまった。迎え酒でもあるまいし、川豆を「腹ごなし」に食べてどうするというのか。しかもこれから腹をくくってことに臨もうという時にである。腹ごなしとは「食後に、軽く運動などをして消化を助けること」である。「腹ごなしに戦う」ならわかる。戦いに備えて川豆を食べるというなら「腹ごしらえ」である。
一方、ガ・ロハの女帝は正しく「腹ごなし」をしていた。
全授1章。ヴィオラ団長は議論するまでもなく処刑に賛成だったが、リネット団長は処刑には賛成しなかった。
前回こっちの選択肢にしたから今回は別のにしよう、などというプレイヤー側の理由ではなく、素直に「あ、リネットは処刑に賛成しないな」と思ったのであった。小説などを書いているとキャラクターが勝手に動き出すような瞬間があるが、これをゲームで体験したことはなかった。不思議な感覚であった。
エリカがアラウネに助けを求めるシーンは本当に彼女らしからぬ姿であると思ったのだが、あれはペラギアの三文芝居の二番煎じか? そして哀れまれるべきエリカの「欲」とは何だったのか? 操られていた時の台詞については、サザントスの吹き込んだ台本通りなのか、それとももともとエリカの内にあった憎悪を引き出したものなのかで評価は変わる。傀儡にするのに剣で刺す演出が何かに似ているなと思ったが、Fate/SNでキャスターが操るルールブレイカーであった。
全授2章でロンドがアラウネに招待される形で灯火の守り手に加入するのだが、彼はなぜフィニスに招待されなかったのか。リンユウよりもロンドの方が灯火の守り手としてはよほど適任だと思う。
ロンドは家を捨てたとは言っていても、こういう時の振る舞いがやはり貴族の出なのだなと思わせる。しかし、陛下に対して「僕」と言ってしまうのはな……。
旅団が辺獄から戻ると示し合わせたようにシグナが玉座の間に登場する。周りを取り囲む兵士を指パッチンで薙ぎ倒しておいて話し合いも何もないものである。
シグナはやおらエリカの「影」を召喚するのだが、自分で話さないでエリカに話をさせるのであれば、話し合いを「しに来た」のではなく「させに来た」というのが正しいのではないか。それにしても、エリカとアラウネのどこが似た者同士なのか。確かに二人とも影響力は権力であるが、もう少し踏み込んだ説明がほしい。
シグナも闇堕ちする前はぶりっ子な話し方が非常に気になったが、闇堕ちしてからは普通に話すようになって聞きやすくなった。
バルジェロがロッソとレヴィーナに留守を頼むシーン。このバルジェロとロッソのやり取りが、信頼し合っている者同士の軽口という感じで本当に良い。
相手が一国の王であっても、必要なら分け合う。バルジェロはストーリーが進むたびに魅力が増すキャラクターだと思う。
リンユウ。名授編で顕著だったが、なんだか数十年前の少年マンガのヒロインを彷彿とさせる。本心はわからないにしても、言動が作為的で、「その場で道徳的に求められるであろうリアクションを取っている」感が強い。プレイヤーの心情を代弁するという演出上の都合なのだろうか?
リンユウはタトゥロック訪れるのだが、神官見習いなので囚人の慰問という線はあるにせよ、何の目的があったのか全く不明である。
生殺与奪の権を他者に握られている状態の人物に「私は、あなたが生きるべきだと思います」と告げることに、何の意味と意図があるのか。「あなたの心は暗く、冷たい。まるで深い海のように。でも……その底に何か感じるんです……あたたかいものを」とか「私は、信じています。あなたの良心を……」とかに至っては、何を言ってるんだコイツ……という感想しかないし、タトゥロックもそう思っていたと思う。
話の流れとして、なんとかタトゥロックを改心させた(と思わせた)いような雰囲気を感じるが、初対面の見習い神官(タトゥロックとリンユウがストーリー上で出会うのはこれが初めてのはずである)が一度「あなたの良心を信じる」とか言った程度でタトゥロックが改心したとしたら、それはこの女帝の生き様に対する侮辱である。リンユウの言葉がきっかけ、またはとどめの一撃となって改心するに至った可能性は否定しないが、そうであるなら途中経過の描写が足りなさすぎる。
タトゥロックに身体の自由を奪われ、「貴様を盾にし、この糞溜めを出てやるか?」と脅された時の返答。この後リンユウは何もなかったかのように「シチュー、食べてくださいね。温かいうちに」と言って立ち去る。タトゥロックに「……食えぬ娘じゃ」後に「フフ……貴様は退屈凌ぎにはなる」と言わせる肝の据わり具合は、さすが追憶キャラの貫禄である。
リンユウは南国育ちのようだし、こういう姿は「わざとらしさ」がなく好感が持てる。
最後の最後にリンユウが取った行動でリンユウに対する印象は一変した。それでこそあのグラム・クロスフォードの娘である。親子というのはこういうところで似るのだなあと妙に感心してしまった。ちなみに、この性質は腹違いの弟にもしっかり受け継がれているように思う。
思い返せば、具体的に何もしないくせに綺麗事ばかり言い、ことを起こしたら起こしたで自分ではその始末をしないのも父親そっくりで、どんなに偉大な先祖に連なる血筋であってもそれに行動が伴うとは限らないというのはえらいリアリティである。これは大いに評価したい。
ロンドではなくリンユウが灯火の守り手に選ばれた理由は、やはりわからない。薄々感じてはいたが、フィニスは実はあまり人を見る目がないのではないだろうか。
警備の手薄な城の裏門に現れるタトゥロック。精気を吸って自分の力に変える能力も思わぬところで活用できるものである。この調子でじゃんじゃん魂を吸って亡者たちを消滅させてほしいところだが、やはり一度に吸収できる量にも上限があるのだろうか。そして、タトゥロックがリンユウの口添えで出獄したのをすぐに見抜き、タトゥロックの術を見て怯むどころか戦力になると踏んで同行を許可したバルジェロも、流石は一つの都市を束ねるボスである。「ち……薄味じゃな」はウケる。
ところでタトゥロックはなぜガ・ロハへ帰らないのか。保釈とはいえ、タトゥロックの力をもってすれば逃走は容易いであろう。
ガ・ロハへ帰っても女帝の座に返り咲くことはないと思っているのか。もしくは、ガ・ロハが敵討ちに来ないところを見ると、あの帝国はタトゥロック一人で持っていたので、女帝がいなくなったら瓦解したのか。単に今起こっていることが面白いと思ったのか。これを放っておいたらどのみち先はないと思ったのか。
「影」の本体を叩くために乗り込んだ先で一行はサザントスと再会する。サザントスはロンドを見るなり「その間抜け面を世の果てで拝むとは」と言い放ち、「少しは上達したか」と問うのだが、そこは「少しは成長したか」ではないのか。
上達するのは具体的なスキル、たとえば剣技などで、剣技大会で勝ち上がってきたかつての弟子と久々に相まみえて自分と対峙しようという時にこのセリフが発せられたとかなら違和感はまだ少ないが、このようなシチュエーションで「上達したか」と言われても「何が?」としか返しようがない。
サザントスの突然の豹変ぶりに理解が追いつかず、ロンドはサザントスに思いの丈をぶつける。それでもサザントスを改心させることはできず、意気消沈するロンドにアラウネがそっと寄り添う。心打たれるシーンである。
回想シーンで、泣いているエリカを受け止めるアラウネの姿を見ることができる。アラウネは一連の物語の中でだいぶ強くなり、王様業も頑張ってこなしてはいるが、これがアラウネの本来の性質なのだと思う。
そしてついに「影」の本体と対峙する。何者とも戦いを望まないのは結構だし必ずしも血を見なくても得られるものはあるが、そのためには戦って相手を殲滅する以上の力が必要になることを、この女王は本当にわかっているのだろうか。普通に戦う以上の修羅の道を進む覚悟があるなら文句はないのだが、どうもそうは見えないのが不安である。
何をどう解釈したらこんな言いがかりをつけようという気になるのか全く分からないのだがこれは何なのか。
馬鹿の一つ覚えみたいにまたそれか。ここで問われているのはアラウネであるが、一体何人に訊けば気が済むのか。このあたりの受け答えを見ているとアラウネの影響力は名声ではないのかと思ってしまうが、権力なのが意外である。
影響力と言えば、富は「与える力」、権力は「戦う力」、名声は「信じる力」で、ギルデロイの影響力が権力なのは納得いったのであるが、今度ヴィオラの影響力が富なのがよくわからなくなった。彼女の影響力はむしろ権力ではないのだろうか。
いや、それは選ばれし者ではなく指輪に頼むべきなのではないだろうか。現に指輪は光ることで返事をしているし……。
ボス戦の記録、3章ボス戦。連戦でも1戦目と2戦目の間に戦闘不能者が復活するのはありがたかった。
2戦目はSP不足でバトアビがほとんど使えず死屍累々で「これはもうだめか?」と思ったが、それでもノーコンティニューで勝ててしまった。パスが切れる前に何が何でもクリアするぞという気合いだろうか。
辺獄のボスは演出がみな同じ(主にペインレイジ)で退屈である。ただ、マフレズは「エリカァァァァ!!」と叫ぶのにエリカは「アラウネェェェェ!!」で、マフレズが気の毒だった。
それにしても、ただでさえボス戦は長期化する一方なのに、戦闘中に会話が発生する演出はやめてほしい。何回かリテイクする羽目になった。シグナに「躾」をされたエリカは、しゃべりが完全にヴィオラであった。
さすがにエリアル武器とインフェルノ防具では立ち行かなさそうだったので辺獄エドラス城での滞在時間は長めだった。辺獄エドラス城の音楽はすこしテクノっぽくアレンジされていて格好よい。
辺獄エドラス城でもエリカとアラウネの部屋は元のままで同じ場所に畏怖無効アクセサリーがあったり、エリカが畏怖を使う点や弱点が変わっても一貫して光に弱い点がパーディスIII世と共通しているのが悲しい。
親指のパトスさん、気になるところで言葉を濁すのやめてください。続きが気になってしまいます。