結局、2.5周年記念体験パスの有効期限中(10日)に三授編終章から全授6章までクリアした。6章ボスを倒したのはパスが切れる13分前だった。パスの威力すごい。
全授5章開始早々、極寒のフレイムグレースにてリンユウのシチューに思いを馳せるロンド。
第17回のオクトラジオでロンドの好物がリンユウのシチューであるということが明かされたが、たしかにロンドはちょくちょくリンユウのシチューに言及している。
好物がただのシチューではなく「リンユウの」シチューであることにやや戸惑いは覚えるが……。
場面は移ってフィニスの門。全授5章と6章はフィニスの門から入る辺獄の深層での話である。辺獄にも何層かあって、これまでに訪れた辺獄グラクスピアや辺獄ヴァローレなどは辺獄の中でも比較的浅い層であるとのこと。
軍を率いて辺獄へ攻め入るためにフィニスの門に来たはずだったのに、肝心の軍隊は門の外で待機の模様である。
軍を率いて辺獄へ攻め入るためにホルンブルクまで出向いてフィニスの門の通り方を伝授してもらったのになぜ全軍突撃しないのかはわからないが、灯火の守り手たちだけでフィニスの門に入り、サザントスと対面する。ロンドと対面するやおしめ発言を飛ばすサザントス。
名授3章でこの語が唐突に使われた時には驚いたし、それは他のプレイヤーにも同様だったようで、サザントスの成育歴に絡めた考察なども見られた。しかし実は「おしめ」はピエロ・デッラも使っており、サザントスの専売特許ではなかった。
サザントスは徐に、人間を滅ぼすべき理由について語り始める。
守灰文書などという仰々しい名前の文書が登場したが、他にどんなことが記録されていたのか。
サザントスの母について思うところはあるが、サザントスを出産したあと彼女はどうなったのか。辺獄にいたという描写はなかった。
それにしても、こんなグロテスクな事件をわざわざ記録に残しているところに、教会の妙なリアリティを感じる。
教皇は守灰文書について本当に関知していないのだろうか? 関知していないのであれば監督不行き届きだし、関知していてなおこれを言っているとすればとんだ狸である。
もっとも、教会としてはそれが正義だったので、守灰文書の存在を知った上でなお守怪文書がサザントスが翻意する遠因になったとは思いつきもしなかったという可能性はある。
母が自ら名付けることができたのは、母にとってもサザントスにとっても幸運であったと思う。しかし、選ばれた地位に就くために帝王学は必要としても、これは教育が悪かったと言わざるを得ない。
そもそも、聖火守指長とは「大陸の覇者」になるような「選ばれし者」なのか? 聖火教会は未来の聖火守指長に何を期待していたのか? 聖火守指長とは何なのか?
サザントスはこの後も「それから、永い間私はさ迷っていた」「私は永く闇をさ迷っていた」と繰り返すので、本当に永い間、孤独に闇をさ迷っていたのであろう。悩みを共有できる人がいなかったのは彼の不幸であった。
サザントスが全授3章で語ったところによれば
だが、あの時――私は、“闇”に触れた
闇……それはまるで……この世の“悪意”が全て集積されたようなものだった
あの時……闇に飲まれながら私は、感じた
この地に人間が生まれ悠久の時を経て積み重ねたものを
それが……“欲望”だ
人間は、その欲のために他の全てを犠牲にしてきた
私は、悟った
人間の欲は深い……底無しの谷のように
闇とは、人間の憎悪、醜悪な心そのものだと
人間たちこそが“闇”であり……滅ぶべき存在なのだと
闇=この世の悪意が全て集積されたようなもの、人間の憎悪、醜悪な心そのもの
欲望=この地に人間が生まれ悠久の時を経て積み重ねたもの
つまり、サザントスは「この世の全ての悪意、人間の憎悪、醜悪な心に飲まれながら、欲望を感じた」。闇と欲望の関係は明言されていないが、「欲望が人間の悪意や憎悪、醜悪な心を生み出す」という理解で正しいだろうか?
そしてサザントスは一足飛びに「人間とは生きる価値があるか、否か……」と悩み始める。「人間の欲は底無しの谷のように深い」から「人間には生きる価値がない」と結論付けるのは論理の飛躍が過ぎるし、そんな理由で一方的に滅ぼされる謂れもない。二極思考も甚だしい。
大体、「人間の欲は底無しの谷のように深い」とか、今更そんな大仰に言うことなのか?
そして、根本的な意見の相違があるのだが、「人間とは生きる価値があるか、否か……」はサザントスが決めることではない。
人間が欲に塗れているのは同意する。しかし、「人間は、その欲のために他の全てを犠牲にしてきた」は過度な一般化である。そして、サザントスの論法でいけば、サザントスが救いたいと願っている彼の母が望んだことも「滅ぼすべき悪」である。
悪や不道徳をこの世から無くしたい、ほどタチの悪い欲望はないな。これが正しいんだぞ、お前らが悪いんだぞ、と言いながら行われてきた虐待や抑圧や殺人がこれまでどれぐらいあっただろうか
— 音楽ナスカ (@m_nsc) June 9, 2023
そもそもサザントスは自分の「欲」についてはどう考えているのか? その行動の原動力も「欲」であるという認識はあるのか?
サザントスは、まずは自分の支配欲を自覚し、他人にどうこう言う前にまず自分の支配欲を滅するべきである。その上で滅ぼすとすれば、全ての人間ではなく母を穢した聖火教会である。
オスカといいセラフィナといいサザントスといい、主張が金太郎飴でつまらない。パーディスIII世やタトゥロックの方が悪役としては魅力があった。振り返ってみれば、一番面白かったボスはアーギュストかもしれない。
閑話休題。サザントスの生まれや育ちは確かに気の毒であった。しかし、彼と同じ境遇にあっても彼と同じようには行動しない人間もいるということは、結局彼がそういう行動を是として実行に移す人間だったということであり、そこに擁護すべき点はない。
例えばサザントスの母親などは、性格次第では少なくとも聖火教会を滅ぼしていてもおかしくなかったと思うが(聖火守指長に推されるくらいなのだから相応の実力はあったはずである)、彼女はそれをしなかった。
結局、サザントスは人の強さを信じる努力はしなかったのである。したかもしれないが、セラフィナの闇に負ける程度であった。
そうしてサザントスは亡者となった某覇者を召喚する。ここでこれを呼び出すのなら、全授1~3章までのどこかでパーディスIII世が再び登場してもよかったのではないだろうか。マフレズやソニアやエリカよりもよほど対峙する理由があると思うのだが……。
某覇者を打倒後にサザントスが父親に関して衝撃的な発言をする。憶測でそこまで言うには主張が強すぎると思うが、サザントスには確信があったのだろうか。そして、今までのストーリーのどこに、それについてのヒントがあったのか。
ここで某覇者の年齢について考えたいのだが、彼が18年前に南方に遠征したときは「若き聖火騎士」だったので、20歳前後であったと思われる。とすると大陸の覇者の時点では40前後。一方、サザントスは、ボルダーフォール・レイヴァース邸での救出劇などを見ても、どんなに若くても20代後半だと思われる。
またグラム・クロスフォードと同じことが起こるわけだが、もし某覇者が本当にサザントスの父親なら某覇者が10代前半~中盤くらいの時の子、という公算が大きそうである。
これがサザントスの父親かもしれないのかという驚きよりも、この憶測をこのタイミングでサザントスに言わせることでどのような効果を狙っていたのかという疑問の方が大きい。
サザントスの驚きの激白の後、全授3章で行方不明になっていたリンユウが突如登場し、自身の言葉通りに自身の命を使う。世界が大変だというのに、そんなことはお構いなしに自分の愛を貫くとは、まったく天晴れな人物であった。
ロンドはリンユウを守れなかったと意気消沈するのだが、守るもなにも、リンユウは自分から刺されに行ったのであり、アラウネの言うように「彼女は彼女の想いを遂げた」のでる。ぽっと出のロンドの出る幕ではない。
「いかなる時にも希望はある」だけではなく、世界がどうあろうと自分のことだけに集中するところは、サザントスがぜひリンユウを見習うべき点だった。
なお、リンユウが指輪から離れて一人で辺獄を歩き回れたのは彼女の血筋によるものだという。クロスフォードの血筋は、聖者グラキアと賢者オージン・クロスフォードの末裔であるだけではなく、やはり神の子孫なのではないか。
リンユウの一件の後、サザントスは悔恨の間のそのさらに奥へと消えてしまう。当然後を追おうとするが、黒い霧に阻まれて進むことができない。どうにか黒い霧を晴らして道が開けたシーン。
デュデク王に対してもそうだったが、タトゥロックは強い者は素直に認めて賞賛するタイプだと思う。
賞賛するときの語句のチョイスにかなり癖があり、少なくとも自分の好みではないが、それはともかく。
ある人がどういう時にどういう語彙を発して、それが実質どういう意味なのか、しばらく付き合ってみないとわからないことがあるのは難しいところだと思う。
リーヴェンもアルティニアもガ・ロハには手ひどくやられたはずだが、リシャールとソロンのさばけ具合がすごい。そんなことを言っている場合ではないというのと、タトゥロックが思った以上に有能だったというのはあるだろうが……。
エルトリクスくらいの態度がかつての敵将に対しては「普通」だと思うが、グランポートをめちゃくちゃにした張本人を目の前にしても比較的冷静なのに、協力を求めてグランポートまで足を運んだアラウネへのあの態度は一体何だったのかというのは、やはり不可思議に思う。
「彼女を生かしたことが正しかったと信じたい」「良心というものを信じたい」については「それはそうですね」以外に返すべき言葉はないが、タトゥロックが改心したかどうかについては懐疑的である。タトゥロックにはタトゥロックの信念と矜持があり、それはアラウネやリンユウの言う「良心」などという単語で形容される心の在り方とは無縁であるようにしか見えない。
そもそも「良心」という概念自体、時代や社会にだいぶ大きく左右されるものだと思う。
アラウネがタトゥロックのことをどう解釈しようがアラウネの自由なのではあるが、呉越同舟というし、行動を共にしているからといって思想に共鳴したとは限らないことは念頭に置いておいてもよいのではないだろうか。もしかしたら理由はないかもしれないし、理由があったとしても理解可能ではないかもしれない。
悔恨の間から先へ進むと富の領獄があり、そこで一行を待ち受けていたのは某覇者その2であった。某覇者その2を撃破して先へ進むと名声の領獄があり、想像通り某覇者その3がいる。
ここでもキャラ(ボスキャラ)が雑にリサイクルされている感は否めないが、相対的にどうでもよくなりつつある。加えて、富の領獄と名声の領獄はあるのに権力の領獄がないのは中途半端に思える。
某覇者その3は、名極編でも撃破後に一行に礼を言うのだが、全授6章での「ありがとう」は、彼の魂をもついに妄執から解放したことについてなのだろうか。
三極編ボスが全員再出演するならやはりパーディスIII世が出てもよかったのではないか、と思わずにはいられない。
物語の演出には意図がなければならないが、「なんでこんなものを見せたのか」については、必ずしも意味があるとは限らない。人はある人の行動の意味をつい考えてしまうが、それによって見誤ってしまうこともある。この演劇を選ばれし者一行に見せること自体はサザントスが某覇者その3に指示したのであろう。これは某覇者その2にも言えることなのだが、某覇者その3はなぜ唯唯諾諾とサザントスの言うことに従っているのか?
そしてついに辺獄の深淵にたどり着き、サザントスと対峙する。
遅く来た思春期が痛々しくて本当に気の毒である。「聖火守指長になった後もずっと」と言っているところを見ると、守灰文書を見てしまったのは聖火守指長になる前だったのだろうか。
「邪悪とは即ち……欲だ」全授3章では「闇」と言っていたのに全授4章で突如「邪悪」という用語が登場して困惑したのだが、闇≒邪悪くらいのイメージなのか。
「邪悪」という語句自体は「炎は邪悪を滅するためにある」というセリフとともに何度も登場したが、「何が邪悪か?」という文脈では初めて登場したと思う。「人間とは醜き“欲”……真に滅ぼすべき邪悪なのだと」全授5章ではついに人間が「滅ぼすべき邪悪」に昇格してしまった。見事な三段論法である。
用語の使い分けが曖昧なので論理が飛躍していても驚きはないが、狙ってこのテキストを書いているのなら混乱した思考をリアルに描写していて評価したい。
ところでここで挟まれる回想シーン。
名授3章のあるシーンなのだが、よく見ると、全授3章での回想にはフィオルが、全授5章ではステッドが登場する。まったく同じシーン、まったく同じショットで微妙にキャラを変えるのは何の意図があってのことなのか。三授終章でやったようにその時点で先頭にいるキャラで画像を生成すればいいのに、なぜそれをしないのか。
なお、旅団2にはリュミス(名授2章の回想シーン・画像無し)もフィオルもステッドもいないので特に他人事感がすごい。
ロンドには「貴様は人間を守るというのか」と尋ね、選ばれし者には「そなたは守りたいのか?人間の“欲”を……」と訊く。サザントスが滅ぼすべきだと思っているのは人間なのか人間の欲なのか。サザントスの頭の中では人間=欲=悪意・憎悪=邪悪となっており、それぞれの区別は全くできていないようである。
サザントスは、選ばれし者と敵対することになっても、選ばれし者を「貴様」とは呼ばないのがよくわからない。この「貴様」というワードチョイスのせいでサザントスに対する印象は最悪に近いのだが、タトゥロックの「雄」と似たようなもので、大した意味はないのだろうか。
そんなサザントスも一度だけ選ばれし者を「貴様」と呼んだ。聖火神の指輪がサザントスを拒否して選ばれし者の指に戻った時のことであった。
そういえば、サザントスはヒューゴは何と呼んでいただろうか。サザントスの性格や育った環境を考えると、軽口を叩き合えるヒューゴはサザントスにとってかなり貴重な「友人」だったと思われる。
ロンドに対するほどではないが、選ばれし者にも心を砕いてくれてはいるようであった。それはありがたく受け取ったうえで、やはり「余計なお世話」と言わざるを得ない。本人にどちらがいいか尋ねることもせず、勝手に「こちらのほうがいい」と決めつけて、強大な力をもって他人の人生に干渉するのは横暴なのである。
「何者にも束縛されず、正体を掴ませない自由人は、他人への横暴を許せば自分にも害が及ぶことを知っています。だから、自分のことであろうと、他人のことであろうと、ささやかな生活を踏みにじられることは我慢しない。そして、足蹴にされた痛みを決して忘れない」
これは、とある二次創作の作品中でヘルガの語るヴィオラとクレスの共通点であるが、「他人への横暴を許せば自分にも害が及ぶ」これこそがまさに戦う理由である。
「タトゥロックと比べて殺した人数はずっと少ないのに、なぜサザントスと戦わなければならないのか」この時点ではサザントスは「人間を滅ぼす」と言っているのであるから、戦うだけの力があるのに指をくわえて見ている理由の方がない。「悪を野放しにすることは悪に加担することに他ならないのです。」
死闘の末サザントスを撃破すると、サザントスはバトル前とは違うことを言いだす。
ここまで、さんざん「人間は滅ぼすべき」などと言っておいて、今さら「救ってやりたいのだ」とか言われても「どの口が?」としか思わない。
これが、「人間を救ってやりたい」人物の言動だというのか?
思い返せば、サザントスは、世に全てを、悠久の時を授けるため、黒き炎で人間の欲を焼き尽くすと全授4章冒頭で独り言ちていた。
言っていることが支離滅裂だが、それはそれでリアリティはある。
サザントスは、そんなに何かを救いたいのならばまず自分自身と己の母を救うがよい。もっとも、その母も救われたいと思っているかどうかはわからない。
そもそも、サザントスは母のためなどと言っているが、母にどういう世界が理想だったか聞いたことがあるのか? 母がこの惨状を見ることがあったら普通に嘆くと思う。そういうところも独善的なのである。
そして、選ばれし者たちの善戦も甲斐なく、シグナが生贄となることでサザントスによる「禁忌の夜」の儀式が完成してしまう。
名授2章で得られた情報によれば、禁忌の夜を成立させるためには神々の指輪、原初の炎と聖なる血が必要だったはずだが、原初の炎はサザントスの炎、シグナが欠けた聖火神の指輪の代わり+聖なる血、ということであろうか。
聖火神の指輪もせいぜい数メートルの距離にあるのだから無理やりにでも儀式に組み込んでしまえばよさそうなものなのに、それができないのは聖火神の意思なのだろうか。ではほかの七柱の神々には意思はないのか。
「聖なる血」はリンユウの血ではないかと見る向きもあるが、儀式が成立するには時空間が離れすぎていると思う。それほど時間的・空間的な隔たりがあっても儀式が成り立つのなら、もっと近くにある聖火神の指輪は普通に儀式に取り込まれるはずである。
こういう行動の動機の表現に恋愛感情を絡めるのは本当に安っぽい演出だと思う。恋愛感情は確かに大きな力をもたらすが、こういう事業を成し遂げるのに抱く感情はそれしかないものなのか?
シグナのトラベラーメモリーに「シグナはまだ幼い」というアタラクシアのモノローグがある。設定は公開されていないが、わざわざこうコメントされるということは、シグナは10代前半か、せいぜい中盤くらいの可能性がある。そのくらいの年代の子ならそのような表現になっても仕方がないかもしれない。
シグナのトラベラーメモリーでは「そなた」と呼んでいたのに、ここでは「貴様」呼びである。
サザントスはどうも自分の庇護下もしくは配下に入った者を「貴様」と呼んでいるような印象を受ける。しかし、エルトリクスやリシャールに対しても「貴様」呼ばわりであった。
ロンドに対しては「貴様」と言ったり「お前」と言ったり一定しない。
選ばれし者は気がつくとフィニスの門の外で倒れている。ヴァローレへ向かえと指示されたのでファストトラベルしようとしたらできないと言われる。仕方がないので徒歩で向かおうとするとファストトラベルしますか? と訊かれる。理不尽である。
ところで、フィニスの門はもともとは、オルサのいる死の国へ繋がるためにフィニスによって造られたものだが、その後ガルデラとその眷属が死の世界に封じ込められ、結果的に魔神を封印するための門となってしまった。
そういえばガルデラもフィニスの門の中のどこかにいるはずなのだが、どこにいたのだろうか。
【ボス戦の記録】
5章ボス。
6章中ボス1。こんなのもう絶体絶命だと思ったがなんとかノーコンティニューで勝利。
6章中ボス2。
6章ボス。パスを使い倒すつもりで行って、目論見通り3回の無料コンティニューを使い切った。2回目と3回目の間が6ターンしか保ててないのが本当につらい。
75分の死闘。旅団2にはアンチアタック持ちがいなくて、すぐワンパンキルされてしまうので大変だった。支援者や支炎獣の攻撃デバフを使っても80ターンはもたない。HPを頑張って盛ってHP3300くらいにしないと厳しいのではないか。
このボス戦で初めてソロンを使ってみたが、ハンイットExの方がよかったかもしれない。